兜町カタリスト『櫻井英明』が日経平均株価や株主優待、投資信託、NISAなど幅広く紹介していきます。企業訪問を中心により密着した情報も配信中です。
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「赤い」
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中国国家統計局が発表した7−9月のGDP)は、物価の変動を調整した実質で前年同期比4.9%増。
4−6(7.9%増)から減速。
市場予想は5.0%増だったからわずかなが下回っての着地。
先進国のように前期比の伸びを年率換算した成長率は0.8%程度になる。
「回復トレンドがいったん緩んだ形」との解釈だ。先進国のように前期比の伸びを年率換算した成長率は0.8%程度になる。
名目GDPは前年同期から9.8%拡大した。
もっともマーケットインパクトは限定的。

日曜の秋華賞はアカイトリノムスメが勝利。
桜花賞4着、オークス2着。
ようやくの1着だ。
白いソダシは失速。
白の陽線より前日比プラスの意の「アカイ」の勝利。
株式アノマリー的には悪くない筈。

「早耳の早耳倒れ」という諺がある。
スピードやタイミングを競えば、機関投資家には勝てる可能性は薄い。
しかし、早く出動したからと言って必ずしも儲かるものではないのがマーケット。
ならば、騒ぎや踊りの嬌声の輪からは離れて高見の見物。
開幕ベルを華やかに飾りたい気持ちはわかるが、フィナーレ直前の方が見せ場のことが多い。
逆の意味で「時間を味方につける」方が良いような気がしてきた。

NYのブラックマンデーメモリアルが近づいてきた。
1987年10月19日のNYダウの下落幅は508ドル、下落率22.6%。
これを受けた日経平均も翌日3836円安(下落率14.9%)の21910円。
ただ翌日は2037円高となった。
下落の背景は米貿易収支の赤字幅拡大と切り引き上げ観測。
そして先物オプション市場におけるいわゆるプログラム売買の浸透。
もっとも売りが売りを呼ぶのはコンピュータのせいばかりではなかろうが・・・。
ところで・・・。
日経平均株価が生まれたのは1950年9月7日。
当時は東証1部修正平均株価と呼ばれた。
その後東証株価指数とかNSB225種平均株価、日経ダウ平均株価などと名前は変わった。
(この名残でNYダウと日経平均を混同して話す市場関係者も稀にいる)。
現在の日経平均株価になったのが1985年5月1日。
ダウ・ジョーンズ社がデリバティブや先物に否定的だったので「ダウ」の呼称が抜かれた。
昔日の面影の出来事となる。
かつては15分から20分程度の更新時間だった。
というよりもたぶん手作業だったのだろうからそれもすごい。
因みに・・・。
最初の東証1部修正平均は東証再開の1949年の5月16日に遡って算出されている。
その数字は176.21円。
同じ日のNYダウは176.21ドル。
作為的なのか、偶然なのかは定かではないが・・・。
70年以上も前に日米合作で創造した虚構としてしまうと言い過ぎだろうか。

2011年10月の週刊新潮。
「ウルトラ円安が日常の光景を一変させる」の記事。
「20××年。
新聞は月21000円なので読む人が激減。
片道30分ほどで通勤できる会社への電車賃は片道1500円。
だから自転車通勤が急増した。
ガソリンが1リッター900円となり車の数は激減。
渋滞もない。
電気代の上昇で都会も夜は暗闇。
マーガリンが1200円。
大間のマグロは2億5000万円」。
面白おかしく記してあるが、ようやく円安警戒論が登場してきた。


(櫻井)。
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