「学説よりも実務」
「学説よりも実務」 |
どんなに好材料があっても、どんなに好業績であっても機が熟さなければ株は上がらない。
要はタイミングということだろう。
「潮目をみる大切さ」とでもいうのだろう。
あるいはどんなにボロ株で悪材料ばかりでも、機が熟せば反発上昇する。
巧みな市場関係者の得意技はこの「機を見るに敏」な動き。
動き始めた列車に飛び乗る技術を会得することは必要だろう。
どんなに良い株も孤高で唱えては犬の遠吠え。
しかし遠吠えだっていつか集まれば歓声に変わる筈。
株価が下がる、円高になる。
株価が下がる、円安になる。
もうどうでも良くなってきた印象もある。
しかしソコソコの値があるから売られるもの。
所詮、限界線まで行けば復活するのが市場でもある。
中途半端な値段でいるから「上がらなければ売ってみな」となるのが必定。
売り叩いて極致までいけばもう下げ相場はない筈。
それくらいの覚悟ができればいいのだが、なかなか。
ところで・・・。
為替と株の関係について知りたいという人は多いという。
いまさらではあるが、確かに関係は大きい。
「円安」になれば日経平均は上昇傾向。
逆に「円高」になれば日経平均は下落傾向。
原因はいくつかある。
しかし輸出産業と輸入産業では真逆の効果。
円が基軸通貨でないことからの不協和音みたいなものだ。
日本企業は海外で活動をしている企業が多い。
問題はドルでビジネスをしているのに決算は円建てということ。
だから「円安」だと円建ての利益は拡大する。
絶対数は変わらないのだが見かけ上の利益は増えることになる。
また、日本株の取引量の7割を占める海外投資家はドルを円に換えて日本株を買う。
この際の為替に関する投資行動が、為替と株の関係を需給的に不安定にする要素も否定できない。
その意味では学説よりも実務を優先することが重要だ。
「シープの法則の買い」という面白い表現があった。
誰かに追随しての買い。
日銀のETF買いを見越して誰かが買えば追随する主体性のない相場観。
確かにヒツジみたいなものかも知れない。
どうして市場関係者は不毛の議論が好きなのだろうか。
何も出る筈のない金融トップの避暑会合のジャクソンホールをめぐってアレコレと。
結論が出ないのが心地よいのだろうか。
意味のない会話とスケジュール探訪を繰り返しての「まんじゅう怖い」。
雇用統計とか米国景気や中国経済の行方。
原油や金の動向まで詳細に並べ立てる。
毎回繰り返しているのに飽きないものだ。
ジャクソンホールとかブレグジットなんてカタカナに酔っているとしか思えない。
「それがどうした」くらいの気概が欲しいものでもある。
何も生産することなく、社会に寄与しているとも思えない存在が市場関係者。
なんて揶揄されないことが重要なのだろう。
《兜町ポエム》
「少年時代=株時代」(陽水)。
リーマンショックから使っているが夢花火になったことはないのだが・・・。
夏祭り、株かがり
株価のたかまりにあわせて
八月は夢花火 私の心は株模様
目が覚めて夢のあと
長いヒゲが上に伸びて
チャートの空に
夢はつまり思い出のあとさき
夏が過ぎ 風あざみ
株の憧れにさまよう
八月は夢花火 私の心は株模様
(櫻井)